虚妄の烏

初老の筆者の根暗な戯言。 まぁ、よかやっか。 色々あっとばい。

ささやかにお祝い

昨日は連れ合いの誕生日。
家でささやかにお祝い。
サラリーマン時代は、誕生日でも仕事で帰りが遅かったので、当日に祝うことがなかったが、今は自営業で日時に融通が利く。

プレゼントなどはしない。
カードを贈っている。
夕飯が一寸だけご馳走。

実は、連れ合いとは同級生だが、自分の方が8ヶ月早く生まれている。
6月に自分の誕生日が来るまでは同い年だ。
自分のほうが先に60代になる。
何だかなあ。

「方丈記/鴨長明」を読む

高校古文の本を読んで「方丈記/鴨長明」に惹かれたので、kindleで落として読んでいる。
要するに世捨て人の話じゃん、と言われたら身も蓋もないのだが、この年齢になると、著者の気持ちがよく分かる。だから共感出来る。
殆ど辞書なしで読んでいるが、何となく理解出来るものだ(現代語訳も付いているがまだ読んでいない)。

まあ、そもそも自分が世捨て人みたいに生きているので、同じ臭いを感じてしまったのだが。
もう誰とも付き合わなくても良い、と思っているので。

古典も、何か一つに絞って読んでみると、人生が一寸豊かになるような気がする。
連れ合いは「平家物語」が好きだそうで、詳しい。
あれも、いいな。
無常観、というのがいい。

何にもとらわれない生き方がしたい。
だから「方丈記」はそういう気持ちにぴったりだ。

「歴史探偵忘れ残りの記/半藤一利」読了

去る1月12日に亡くなった半藤一利氏のエッセイ集。
堅苦しさは全くない。
若い頃の思い出などが綴られている。

”乱読”などと綴っておられるが、実に色々な本を読んでこられたのだな。
それらが積み重なって、編集者として、作家としての血肉になったのだな。

自称”歴史探偵”。
昭和史の研究に、その生涯を捧げられた。
その著書は、戦後生まれの自分にとっては、貴重な示唆に富んでいる。
そういう半藤氏の、若かりし頃のやんちゃ時代。
何もなかったけれど、こころを豊かに保てた時代の記憶。

もうちょっとだけ、生きていてほしかった。
この本の完成を見ることなく、逝ってしまわれた由。
教えてほしかったことは、まだまだ数多い。
そう思う人は、多いのではなかろうか。

もうこんな古い価値観のアニメは終わらせるべき

「サザエさん」のアニメ放映が始まった時、自分は確か小学一年生。昭和43年ぐらい(記憶に依るので正確には少しずれてるかも知れない)。
もう50年以上前のことだ。
その頃は「昭和の古き良き姿」がそのまま残っていたし、性別役割分業は当たり前、母親が子どもを置いて働きに出るなんて、子どもが可哀想、などと本気で述べる人が多かった。男にも女にも多かった。と、言うか、むしろ女にそういう意見の人が多かったような記憶がある。「女の敵は女」と、よく言われたものだ。

最早、アニメの「サザエさん」を今放映するのは、無理が有りすぎるのではないか。
今どきあんな三世代家族なんてそんなに無いし、一家に主婦が二人も居たってやることないだろう。
サザエさんはせめてパートぐらいに出てなければおかしいし、フネさんだってシルバー人材センターぐらいに登録して働いていても良かろう。家の中にばかり居るなんてあり得ない。

大体、50年以上も年を取らないという設定が無理なのだ。

もう「サザエさん」の役割は、とうに終わっているのではなかろうか、と思う。
今どき、あんな家族が本当に居るなんて、あり得ないのだ。
放映止めたらどうか。
うちは、もうずっと観ていないので、よく分からないが。
   ↓

「松本清張全集43 告訴せず・十万分の一の偶然」読了

現代は、スマホ搭載のカメラ機能が充実したおかげで、誰でも「決定的瞬間」を簡単に撮影出来るようになった。
「十万分の一の偶然」は、そんな時代など到底来るはずがないと思われていた、「決定的瞬間」を撮るためには豊富な撮影経験と十分な性能の機材と天才的勘が必要だった時代の話である。
新聞の報道写真コンクールで一等を獲ったセミプロのカメラマンが、その決定的瞬間を撮るためにそれを演出したとして、それによって死に至らしめられた恋人の敵を取る男の物語だ。
交通事故の瞬間、しかも死者多数という悲惨な内容の事故であるという写真をめぐり、その事故発生に疑問を抱き、撮影のために仕組まれたものであろうという信念の元、調査を進め、遂に復讐を遂げる。
そういう犯罪もあるか、という、一寸虚を突かれる感じの話だ。

「告訴せず」も、選挙資金の裏金を横領する男の話だが、そもそも裏金なので盗難されても被害届を出せない(告訴できない)という性質で、従って盗った方が丸儲けになるという、一面胸のすくような話でもある。まあ、最後にはお約束通り破滅するのだが。

どの著作を読んでも、事情が詳しく語られているので、一体どういう並外れた取材力だろうかと驚嘆させられる。だからこそ、読んでいて面白い。色々と勉強にもなるし。これだから止められない。

何で分かってくれないんだろう

某企業さんのグループを相手に、ビジネス関係の講師を務めた連れ合い。

大いに盛り上がったらしく、喜んでもらって終了したとか。

それは良いのだが・・・「打ち上げをやりたい」という話が持ち上がったようで、コロナが収束したらバーベキューをやることにした、とのこと。

そんなのやめてほしい!
バーベキューで感染が起こっているのだ。
外でやるからいい訳ではないらしい。
長時間、密接な空間で、マスクもしないで会話するのが多分ダメなのだろう。

「そんなの、やめて!」と懇願。
それで、渋々「じゃあ、止めとく」。

「全員がワクチン打ち終わるまで止めてね」。
となると、いつになるか分からないのだが、とにかく感染リスクは避けてほしいのだ。

分からないかなあ。
コロナは怖いってことが。

大坂なおみ優勝!

やったね!
世界一。なんていい響き。
コロナで打ち沈んでいた国民感情を元気づけてくれた快挙。

「日本食生活史/渡辺実」読了

民俗学の本としては、古典的な方に入るだろう。昭和39年の初版刊行である。
今回読んだのは、平成19年に復刊されたものだ。
江原絢子が巻末に解説文を寄稿している。
古いので、古代にあたる時代に関しては考古学的に現代では否定されている記述があるのは仕方がない。それを踏まえた上で読むべきだ。現代に関する部分も当然ながら少ない。「米を食べるとバカになる」と言われていた時代だ。

今日では、日本人の理想のバランス食は1970年のそれであると言われている。主食、副食のバランスが取れた理想の献立である。具体的には、米飯、味噌汁、焼き魚、おひたし、煮物、漬物、日本茶。こういう食事を毎日摂りたいものだ。歳を取るとそういう気持ちになる。

それでも、今、この本を読むことには大きな意義がある。どの本を見ても、大抵この本が参考文献として挙げられている。資料として貴重なのである。実際、日本史の流れを追いながら、あらゆる階層の日本人の食生活を調べ上げて述べてあるのを読むと、日本人がどのように生活してきたのかが窺い知れ、歴史の見方が生き生きとしたものになるのだ。食べるというのは基本的な営みであり、心身を養うものなので、その在り様から例えば貴族、例えば武士、例えば農民等といった人たちの日々が浮かび上がるのだ。具体的には、獣肉食は仏教の影響で禁忌とされていたと一般的に言われるが、狩りで得たものを食べることに関しては問題とならなかった。厳しい戒律を布いて、禁欲的かつ形式的な食事に甘んじて運動不足の不健康な生活をしていた貴族層より、身体を労働で使って狩って来た獣肉を食べていた庶民層の方が健康的だった、ということが言えるのである。

と、いうことで、一応読み終えたが、手元に置いておきたくて、アマゾンで買ってしまった。ことあるごとに紐解きたい一冊である。

マットレス替えたらよく眠れるように

マットレスがへたってきたので買い替えた。

よく眠れる。
7時間半も寝てしまった。
前は3時間だったのに。

アーモンドグリコ売ってないんだな

ふと、アーモンドグリコが食べたくなったので探したが、どこにも置いてない。
ネットで調べたら、スーパーやコンビニの店頭には置かれていないらしい。
それで、ついネットで箱買いしてしまった。

どうしてスーパーやコンビニに卸さなくなったのだろう。
売れないからかな。
でも、キャラメルが森永のしか置いてないなんて、何だか寂しいな。

「一粒で二度おいしい」がキャッチフレーズだった、アーモンドグリコ。
子どもの頃は殆ど食べなかったのに、何故かいきなり食べたくなったのだ。
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