虚妄の烏

日本酒と近現代史と食生活史と近代日本文学が好きな60代。男か女か分からないと人には言われるが、どっちでも好きなように捉えて呉れれば良いと思っている。

2020年12月

正月用のかまぼこは何故高いのか

正月用に買い物をする際、いつも思うのが、かまぼこがどうして高値なのか、ということだ。
普段、かまぼこを食することは、現在では殆どないので、余計に「どうしてこんなに高いんだ?」と腹が立つのだ。
切って重箱に詰めればよいだけだから、楽なのだが、それにしても高い。

例年だと二つ買うのだが、今年は人が集まらないので、一つにした。
それでも”負担感”は拭えない。
重箱に入れるだけではなく、年越しそばや雑煮にも使いたいのだが、あまりにも高価で、つい買うのを躊躇する。

普段、それほど売れているとは思えないので、年末が特需なのかも知れないが、あまりにも高すぎないか。足元を見られているようで、不愉快だ。

子供の頃の飯のおかずが、安いかまぼこだったりしたので、余計に「たかが、かまぼこじゃないか、どうしてこんなに高いんだ?」と思ってしまうのだ。

こんな風に、ぶりぶりはりかきながら、年を越すのである。

楽な年末年始

今年は、義父母を我が家に招ばなくても良いし、年明けに行かなくても良いので、大変楽をさせて貰っている。
いつもなら、大晦日ともなると、朝から料理にかかりきりで、昼過ぎに義父母を迎えに行き、我が家に一晩泊まってもらう。
おせち料理を用意せねばならないし、がめ煮も作って帰りに持たせねばならない。結構負担である。
それが、今年はない。
・・・ああ、楽でいいなあ。

思えば、高校1年の時母が他界し、以来代わりに年末年始の用意をしてきた。重箱に詰めるものを色々自力で用意していた。亡母がやっていたのと同じように、と思い、頑張ってきた。
それでも、家族には大して感謝もされず。まあ、そういうものだ。

結婚してからは、一人暮らしの亡父の分のおせち料理を準備し、大晦日の夕方届けに行った。

その父も亡くなり、大晦日に料理を届ける必要もなくなった。
代わりに、義父母を我が家へ招ぶ慣習が出来た。
どちらにしても、大晦日は大変な一日になった。

そういうのが、今年はない。
楽だな。
コロナが収まっても、この方がいいな。

帰省しなくても良いという状況を喜んでいる人は、自分だけではあるまい。

録画消化

本ばかり読んでいて、録画を全く観ないので、溜まる一方。
流石に溜まりすぎたので、昨日は思い切って読書をせずに、一日録画を観ていた。
自分しか観ないものを中心に片付ける。
「医師・中村哲さんの特集番組」「旅するためのフランス語」「映像の世紀プレミアム」「エルサレムの聖墳墓教会」「ヒューマニズム・目」「100分で名著」「バリバラ」等。
これだけ観ても、まだ沢山残っている。
ゴジラ映画とか。

今日は本を読みたい。
「日本の食文化4 魚と肉/藤井弘章編」。
今日は、暮れの買い物もせねばならないが。

腹が立つ

病院へ行ったが、散々な目に遭った。

少しでも早く診察してほしくて、7時過ぎに病院へ。
既に一人待っていた。
だから、二番目だ。

二番目として受付出来たまでは良かった。
ところが、9時を過ぎても医者が来ない。
昨日は、医者二人体制。
自分の主治医ではない人は、既に診察を始めている。
自分より後から来た人が、どんどん診察を終えている。

理不尽だ。
一体、自分の主治医は何故来ないのか。
後から来た人に抜かされて、一寸イライラ。

9時半を少し過ぎた頃、職員が来て説明するに曰く「主治医は現在交通渋滞にハマって、到着が遅れる」。
そんなバカな。
何のために、7時過ぎにわざわざ来たのか分からぬではないか。

自分は、薬を出してほしいだけなので、この際主治医でなくても良いから早く診察してほしい旨告げ、了解を得ていた。
そうしたら、主治医が到着。
やれやれ、やっと診てもらえる。

診察は、3分とかからずに終わる。
この病院は、これからが長い。
会計で待たされ、薬で待たされる。
結局、病院で過ごすこと3時間。
受付の声は相変わらず小さく、聞き取れない。
又しても投書箱へ「受付はマイクを使ってほしい」と投書する。

ぶりぶりはりかきながら、やっと家路に着く。
帰宅すると、連れ合いが「えらく遅かったね」と言うので、事の次第を報告。
結局、半日、通院でつぶれる。
持参した「つげ義春全集4」は、待っている間に読了した。

もう、いい加減、病院行きたくないんだけど。
薬、一生飲まねばならないのだろうか?

そういう風に、年末は暮れゆく。

読むのいっぱいあって楽しいその4

図書館で借りた本。年末年始用(図書館が休みになるから)。
以下に記す。

「決定版昭和史5 昭和の幕開く 昭和元年-5年」
「つげ義春全集4 李さん一家 海辺の叙景」
「日本の食文化4 魚と肉/藤井弘章編」
「松本清張全集9 黒の様式」
「明治大正史(上)/中村隆英」
「幕末明治風俗逸話事典/紀田順一郎」
「ドーキンス博士が教える”世界の秘密”/リチャード・ドーキンス/デイヴ・マッキーン/大田直子」

これだけあれば、年末年始は乗り切れるだろう。
返却期限は来年の17日だ。
それまでには、楽勝で読める。

現在は「バカの研究」を読んでいる。
これも、今日には読了出来るだろう。

今日は、官公庁の御用納めだな。
いよいよ、年末年始だ。
今年は、義実家へ行かないので、楽だ。
本の世界に浸ろう。

「バカの研究」読み始めた

「松本清張全集7」を読了。
「バカの研究/ジャン=フランソワ・マルミオン編/田中裕子訳」に着手。

トンデモ本かと思って借りたが、意外に真面目な「バカ研究本」。
フランスの一流大学研究員に依る「バカ論」。
曰く「バカは自己中心的、過度の自信家、周りを見下す性癖、衝動的言動、周りを不愉快にする」云々。
息抜き用として借りたが、真面目にバカを論じているので、理解に苦しむ箇所多数。
哲学的に分析されても、なあ。

自分はバカだから、解らない。

でも、この本に述べてあるような人には、遭遇したことがある。
妙に自信家で、人を踏みつけにするような態度を取り、おせっかいで、騙されやすい(迷信を信じやすい)。
職場にも居たし、家族にも居る。

自分は無能で、何も知らないのだという前提で生きる方が、生きやすいのかも知れない。
SNSもやらないし、生身の人との交流もない。
それで丁度良いと思っている。
ほんの少し、寂しさを我慢すれば良いだけ。
戦略的に、バカになる。
そうでないと、夫に捨てられて、生きてゆけなくなる。

ドナルド・トランプと金正恩を指して、大馬鹿者だと言うあたり、編者は常識人と見た。

松本清張大好き

このところ、すっかり松本清張にハマっている。
読んでいると、どんどん引き込まれる。
現在は、図書館から全集を借りて読んでいる。
全集は便利だ。色々な作品が網羅されているから。
今借りているのは、全集7。
今日読み終わるので、また図書館へ行くつもり。
正月用の読書分。
(図書館の年内開館日は今日なのだ)。

こんなにハマったのは、萩原朔太郎以来かも知れない。

子供の頃、家にあった単行本を読んだのを思い出し、何気なく読み始めたのだが、子どもには到底理解し得ないことが書かれており、あの子供時代の経験は何だったんだろうと思う。
それでも「日本の黒い霧」にある国鉄総裁轢死事件については覚えていたので、満更無駄でもなかったのかと思う。

今日図書館へ行ったら「けものみち」でも借りてこようかと思う。

「日本の食文化2 米と餅」読了

もうすぐ正月だが、雑煮の餅は丸餅か角餅か。
このことだけで、本が一冊書けてしまう。
それぐらい、雑煮文化は土地柄を反映して多種多様。
餅ではなく里芋を食する地域もあるとか(餅なし正月)。
里芋は、神様に供えるもの。

赤飯やぼた餅も、現代では”買うもの”となった。
亡母は手作りしていたが。
そう、自分が子どもだった頃、米の加工品を買うということはしなかった。
餅は、自前で搗いて(搗いてもらって)いたし、赤飯やぼた餅は手作りしていた。
亡母が作ってくれたぼた餅は、すごく美味しかった。

今でも、手作りしたのを食べたいという思いはあるものの、連れ合いが糖尿病なので、作っても食べられず大量に余る可能性が高いので作れない。
このところずっと、小豆あんを使った菓子を口にしていない。
洋菓子より和菓子が好きなので、何となく寂しいと思う。
自分一人だけ食するのは気が引ける。

亡母のぼた餅、懐かしいな。
もう一度食べたい、郷愁を誘う味だ。

さあ、次は松本清張だ。

食品ロス

米、ということで、ふと思ったのだが、こういうことだ。

  ー 外食での飯の盛りが多過ぎる ー

どうしてあんなに多いのだろう。
飯の量が多過ぎるのだ。
自分は少食なので、余計にそう思う。
食べきれない。

「少なく盛ってくれ」と頼んでも、やはり多いのだ。

若くて健康な男性だったら「足りない」と思うのかも知れないが、客はそういう人ばかりではない。
自分のような年寄りも利用するのだ。
人を見て盛ってくれとまでは言わないが、客から要望があったら量を加減してほしい。
食べきれないと、結局捨てることになる。
食品ロスだ。
それは、こころが痛む。

だから、外食が出来ないのだ。
こころが痛むから。

「日本の食文化2 米と餅」を読み始めた

「神は妄想である/リチャード・ドーキンス/垂水雄二」を読了し「日本の食文化2 米と餅/関沢まゆみ編」に着手。
「神は~」は、胸のすくような無神論者の言い分が魅力。
原理主義者って、確かに怖いもんな。

「日本の食文化2」は、身近な米文化について述べてあるが、曰く「白飯が一般化したのは戦後である」というのは腑に落ちる。
正月用の餅搗きは、一大イベントだったもんな。
幼い頃の記憶で、亡父の勤務先(亡母の独身時代の職場でもあった)で、年末のある日餅搗きをしていて、炬燵で本を読んでいた自分に、知らないおばさんが搗きたての餅を食べさせてくれたというのがある。味は忘れた。
貧乏だったので、食卓にはしばしば団子汁や麦飯が登場していた。
米がなかったのだ、多分。

米は、神様に供えるためのもので、人間が食するものではなかった。
正月や節日には、米を神前に供える習慣があった。
白飯や餅は、正月などにしか食べられないご馳走だった。

そう言われれば、何かで読んだが、以下のような意味の言葉(おそらく歌の歌詞)がある。

 正月はいいもんだ
 雪のようなママ喰って

白飯は、正月にしか食べられないものだったのだ。

現代は、白飯がデフォルトなので、隔世の感がある。
糖質制限とか言って、米を食べない。
それって、罰当たりなことなのかも知れない。
一膳の白飯を、感謝して戴く。
残さないような量を炊く。
”食べられる”ということに、感謝せねばならないのかも知れない。

まだ読み始めたばかりだ。
どんなことが書いてあるのだろう?
ワクワクする。
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