虚妄の烏

日本酒と近現代史と食生活史と近代日本文学が好きな60代。男か女か分からないと人には言われるが、どっちでも好きなように捉えて呉れれば良いと思っている。

2021年02月

「いつのまにか、ギターと/村治佳織」読了

軽いエッセイ集なので、すぐ読めた。
自伝、ともいうべきか。
幼い頃から、父上の影響でギターが間近にあり、おもちゃにして遊んでいたこと。
三才の時には、メロディが弾けたこと。
数々のコンクールで優勝し、演奏会を行い、CDを録音し、留学し、見聞を広めてきたこと。
プライベートなこと(離婚、病気など)。
プロとしての生き方。

良くも悪くも、この人は、ずっと注目の的だった。
若くしてプロデビューし、謂わば「早く大人にならされて」生きてきた、というイメージがある。
しかし、この本に綴られているこの人の心情は、そうではない。
等身大の姿。

これから、演奏は円熟味を増してくるだろう。
現在、活動の幅を大きく広げている。
今後に期待大である。

「決定版昭和史11 昭和18ー19年 破局への道」読了

玉砕に次ぐ玉砕。
学徒出陣。
女子挺身隊結成。
疎開。
雑炊食堂。
空襲始まる。
いよいよ追い詰められる日本。

戦場の写真は悲惨なものが増える。
誰が写したんだろう。
多分米軍だろう。
日本軍敗走については、箝口令が敷かれていた筈だから。

舅は学童疎開の体験者だ。
そのことをあまり語りたがらないが、一度その土地へ行ってみたいとは思っているようだ。
年を取って、身体が思うに任せず、叶わないのだが。
どんな経験をしたのだろうか。
一度、聞いてみようかな。
歴史を学ぶ者の立場としては、捨て置け無い。

三重県は警戒宣言解除せず

愛知県、岐阜県が緊急事態宣言解除の対象になった。
それで、連動して三重県も独自の緊急警戒宣言を解除するかと思っていたが、解除しないと言う。
きっちり3月7日まで、宣言は続く。
三重県知事は若いがブレない人なので、こういうことが出来る。

宣言を解除したら、必ず民心は緩む。
そうすれば、またまた感染者が増える。

宣言解除イコール安全宣言という訳ではないのに、何故か人の往来は増え、飲食店は密になり、大声で話す人が増える。
コロナはまだまだ収束せず、これからも感染爆発は起きると思っているので、そういう動きになるのは怖い。
(こんな状況なのにオリンピックやるんだ。多分オリンピックは開催されるだろう。大方の反対を押し切って。この国はそういう国だ。人命よりもお金が大事なのだ)。

取り敢えず、合奏練習は中止になった。最近、中止になるとほっとする。もうやめようかな、と思っているので。音楽をやるのは面倒くさい。聴いているだけの方がいい。

研究者みたいな生活

図書館へ。
借りた本。

「決定版昭和史11 昭和18-19年 破局への道」
「日本史1 ー切支丹伝来のころー/ルイス・フロイス/柳谷武夫」
「日本食と出汁 ーご馳走の文化史ー/松本仲子」
「松本清張全集11 歪んだ複写、不安な演奏」
「いつのまにかギターと/村治佳織」。

村治佳織さんは、すっかり大人になられた。
少女の頃から知っているだけに、感慨ひとしお。
本の表紙がギターを弾いている写真だが、左手のフォームがきれい。
音が聴こえてきそうな写真だ。

図書館は、学習用の席をネット予約出来る。
昨日、初めてその機能を使って学習室で勉強。
まるで研究者みたい。
こういう生活、してみたかった。
これからも、大いに利用しよう。

ささやかにお祝い

昨日は連れ合いの誕生日。
家でささやかにお祝い。
サラリーマン時代は、誕生日でも仕事で帰りが遅かったので、当日に祝うことがなかったが、今は自営業で日時に融通が利く。

プレゼントなどはしない。
カードを贈っている。
夕飯が一寸だけご馳走。

実は、連れ合いとは同級生だが、自分の方が8ヶ月早く生まれている。
6月に自分の誕生日が来るまでは同い年だ。
自分のほうが先に60代になる。
何だかなあ。

「方丈記/鴨長明」を読む

高校古文の本を読んで「方丈記/鴨長明」に惹かれたので、kindleで落として読んでいる。
要するに世捨て人の話じゃん、と言われたら身も蓋もないのだが、この年齢になると、著者の気持ちがよく分かる。だから共感出来る。
殆ど辞書なしで読んでいるが、何となく理解出来るものだ(現代語訳も付いているがまだ読んでいない)。

まあ、そもそも自分が世捨て人みたいに生きているので、同じ臭いを感じてしまったのだが。
もう誰とも付き合わなくても良い、と思っているので。

古典も、何か一つに絞って読んでみると、人生が一寸豊かになるような気がする。
連れ合いは「平家物語」が好きだそうで、詳しい。
あれも、いいな。
無常観、というのがいい。

何にもとらわれない生き方がしたい。
だから「方丈記」はそういう気持ちにぴったりだ。

「歴史探偵忘れ残りの記/半藤一利」読了

去る1月12日に亡くなった半藤一利氏のエッセイ集。
堅苦しさは全くない。
若い頃の思い出などが綴られている。

”乱読”などと綴っておられるが、実に色々な本を読んでこられたのだな。
それらが積み重なって、編集者として、作家としての血肉になったのだな。

自称”歴史探偵”。
昭和史の研究に、その生涯を捧げられた。
その著書は、戦後生まれの自分にとっては、貴重な示唆に富んでいる。
そういう半藤氏の、若かりし頃のやんちゃ時代。
何もなかったけれど、こころを豊かに保てた時代の記憶。

もうちょっとだけ、生きていてほしかった。
この本の完成を見ることなく、逝ってしまわれた由。
教えてほしかったことは、まだまだ数多い。
そう思う人は、多いのではなかろうか。

もうこんな古い価値観のアニメは終わらせるべき

「サザエさん」のアニメ放映が始まった時、自分は確か小学一年生。昭和43年ぐらい(記憶に依るので正確には少しずれてるかも知れない)。
もう50年以上前のことだ。
その頃は「昭和の古き良き姿」がそのまま残っていたし、性別役割分業は当たり前、母親が子どもを置いて働きに出るなんて、子どもが可哀想、などと本気で述べる人が多かった。男にも女にも多かった。と、言うか、むしろ女にそういう意見の人が多かったような記憶がある。「女の敵は女」と、よく言われたものだ。

最早、アニメの「サザエさん」を今放映するのは、無理が有りすぎるのではないか。
今どきあんな三世代家族なんてそんなに無いし、一家に主婦が二人も居たってやることないだろう。
サザエさんはせめてパートぐらいに出てなければおかしいし、フネさんだってシルバー人材センターぐらいに登録して働いていても良かろう。家の中にばかり居るなんてあり得ない。

大体、50年以上も年を取らないという設定が無理なのだ。

もう「サザエさん」の役割は、とうに終わっているのではなかろうか、と思う。
今どき、あんな家族が本当に居るなんて、あり得ないのだ。
放映止めたらどうか。
うちは、もうずっと観ていないので、よく分からないが。
   ↓

「松本清張全集43 告訴せず・十万分の一の偶然」読了

現代は、スマホ搭載のカメラ機能が充実したおかげで、誰でも「決定的瞬間」を簡単に撮影出来るようになった。
「十万分の一の偶然」は、そんな時代など到底来るはずがないと思われていた、「決定的瞬間」を撮るためには豊富な撮影経験と十分な性能の機材と天才的勘が必要だった時代の話である。
新聞の報道写真コンクールで一等を獲ったセミプロのカメラマンが、その決定的瞬間を撮るためにそれを演出したとして、それによって死に至らしめられた恋人の敵を取る男の物語だ。
交通事故の瞬間、しかも死者多数という悲惨な内容の事故であるという写真をめぐり、その事故発生に疑問を抱き、撮影のために仕組まれたものであろうという信念の元、調査を進め、遂に復讐を遂げる。
そういう犯罪もあるか、という、一寸虚を突かれる感じの話だ。

「告訴せず」も、選挙資金の裏金を横領する男の話だが、そもそも裏金なので盗難されても被害届を出せない(告訴できない)という性質で、従って盗った方が丸儲けになるという、一面胸のすくような話でもある。まあ、最後にはお約束通り破滅するのだが。

どの著作を読んでも、事情が詳しく語られているので、一体どういう並外れた取材力だろうかと驚嘆させられる。だからこそ、読んでいて面白い。色々と勉強にもなるし。これだから止められない。

何で分かってくれないんだろう

某企業さんのグループを相手に、ビジネス関係の講師を務めた連れ合い。

大いに盛り上がったらしく、喜んでもらって終了したとか。

それは良いのだが・・・「打ち上げをやりたい」という話が持ち上がったようで、コロナが収束したらバーベキューをやることにした、とのこと。

そんなのやめてほしい!
バーベキューで感染が起こっているのだ。
外でやるからいい訳ではないらしい。
長時間、密接な空間で、マスクもしないで会話するのが多分ダメなのだろう。

「そんなの、やめて!」と懇願。
それで、渋々「じゃあ、止めとく」。

「全員がワクチン打ち終わるまで止めてね」。
となると、いつになるか分からないのだが、とにかく感染リスクは避けてほしいのだ。

分からないかなあ。
コロナは怖いってことが。
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